テセウスはアカイア人の中心都市であったアテナイの人々が自分たちの祖先であり、国王でもあり英雄的存在であったテセウスをどうにかヘラクレスの域に近づけたかったという思いが込められている。そのため、ゼウスのためにヘラクレスがオリュンピアの競技を創設したという伝説があるのに対し、テセウスにもポセイドンのためにイストモスの競技を開いたとされる伝説がある。
アテナイのアゴラにあるパイストス神殿のメトープ浮彫やデルポイにある宝庫のメトープ浮彫でも、ヘラクレスの功業とテセウスの功業はほとんど同じ格として表現されている。
またヘラクレスがゼウスの息子であることに対抗するかのように、テセウスにも国王アゲイウスの息子である話だけでなく、ポセイドンの息子であるという伝説が残っている。
ヘラクレスがクレタ島から持ち帰った牛を逃がし、テセウスがその牛を退治したとされている話が残っているのは、英雄ヘラクレスとの関係付けと憧れからきていると考えられる。
また、アマゾン族への遠征にも二人は参加している話が残っている。